一筆入魂

フリーライター/編集者 山下久猛のブログ

2019
05/17
日記

【感謝】フリーライター・編集者になって13年生き延びることができました

フリーライター・編集者になってちょうど丸13年が経ちました。

思えば昨年の今頃は、7、8年くらい続いた、収入の半分から3分の1くらいを占める大口の仕事が突然なくなり、これはいよいよ新宿中央公園でダンボールハウスに住む準備を始めなアカンと、その一環として急遽夏に家賃の安いマンションに引っ越しをキメたという経緯があります。

しかしこの1年は何とか生き延びることができました。さらに最近はいくつか新規クライアントも増えました。年齢とともに確実に仕事が減っていくこの業界・この職業においてこれはまさしく奇跡であります。おかげさまでしばらくは新宿中央公園のダンボールハウスに引っ越さなくても済みそうどころか最近はゆっくり散歩とか呑みにいけないくらいの忙しい日々を過ごしております。ありがたいことです。
それもこれも友人知人の皆様方のおかげであります。この場をお借りして深く御礼申し上げる次第であります。

せっかくなので13周年を迎えるにあたり、常々考えていることを書いてみたいと思います。

人間の本能といえば食欲・性欲・睡眠欲の3つであるのは皆さんもよくご存知のことと思います。しかし私はこれにあと2つ付け加えたい。1つは、未知のことを知りたいという知識欲である。

人類は700万年前くらいにアフリカで誕生し、そこから世界中に拡散していった。ずっと住み慣れたアフリカにいてもよかったのに、あえて見知らぬ土地を目指し一歩を踏み出したその原動力になったのは、この見たことのない風景を見てみたい、知らないことを知りたいという知識欲だと思うのはいささかロマンチシズムが強すぎるだろうか。
違う違う、そうじゃ、そうじゃなぁい、君を逃がせない、としても、この知識欲が人類文化の進歩発展の元の1つになったのは間違いないだろう。
『進撃の巨人』にもエレンが壁の外を見たいと魂の叫びを放つシーンがあるが、それがこの作品の核の1つになっていると思う。

個人的にもこれが生きる原動力の1つになっている。ノンフィクション系の本を読む時、ドキュメンタリー系の映画を観る時、見知らぬ土地へ出かける時、心が躍る。ワクワクが止まらない。そういえば、18歳で愛媛の片田舎から横浜に出てきて新聞奨学生を始めるときも、不安もあったが、ワクワク感の方が大きかった。休みの日、新聞を配る50ccのヤマハ・メイトでいつも通る道をこのままずっと走るとどこまで行けるのだろうと、限界まで走ったことがある。あの走り出した時のワクワク感、頬に感じた風の気持ちよさ、そして次々と目の前に現れる見知らぬ風景の眩しさは、30年ちょっと経った今でも鮮明に思い出すことができる。

その知識欲は仕事においても同じである。取材は知らないことを知りたいという欲求を満たしてくれる。未知の、知りたいと思っていたことを知ることができた、その人の核心の部分に触れられたと感じた時、鳥肌が立つ。確かに何か変な電流が脳内を駆け巡る感触がある。

その次に、知り得た情報を誰かに知らせたいという欲求が沸き起こる。これが2つ目の本能である発信欲である。伝達欲といってもいいかもしれない。

自分の経験したことや知り得たことを人に伝えたいという欲求をもつ人は多いだろう。だからこそこれだけSNSやブログが流行るのだと見ている。

ではなぜ人は誰かに伝えたいと欲するのか。その理由の1つに報酬があると思う。この場合の報酬はリアクション。こちらが発する情報を受け取った相手からの反応だ。喜んだり笑ったり驚いたり、感謝された日にはもうやめられない。
逆にもし誰からも何の反応もなかったら、伝えるモチベーションを長く保ち続けられる人がどれだけいるだろうか。人は無視されることに耐えられない。
この辺は承認欲求とも絡んでくるが、そういう意味で特にFacebookは本当にうまいことやったと思う。「いいね」システムは革命的だと言っても過言ではないだろう。それを超えて「いいね」は麻薬に近いとも思っている。

私もこのように日々くだらないことをFacebookに書き殴って皆様の目を汚しまくっているわけだが、やはり読んでくれた人の反応を楽しみにしているところは正直強い。

それは仕事においても同じで、まずは自分の書いた記事のPV数がハネたらうれしい。それだけ多くの人に読んでもらえたということだからだ。しかし、それだけを追い求めるのはナンセンスで、ページの滞在時間やどのくらいの量を読んでいるのかというヒートマップの方が重要だ。何よりそれをやりだすと記事の方向性がブレるし、クオリティも落ちる危険性がある。よって、PVはあくまでも指標の1つで、狙いにいかず、結果的に上がったらいいなくらいでいいと思っている。とはいえハネたらうれしいけど。

何よりうれしいのは読者の反応だ。これが間違いなく大きなやりがいの1つになっている。「おもしろかった」「ためになった」「読んでよかった」というコメントがつくと死ぬほどうれしい。最近書いた記事でもたくさん好意的なコメントがついていて、読んでいると自然と顔がにやけてしまう。本当にありがたい。
特にフリーライターという職業は、朝から晩まで1人の部屋で最後から最後まで基本的に全部1人で作業するので、孤独な仕事。だからこそ読者の反応がありがたく、それがあるから頑張れると言っても過言ではないのである。
ちなみに今まででものすごくうれしかったコメントは「つらい毎日ですが、この記事を読んだことでもう少し頑張れそうです」とか、ハイパーレスキューの隊長のインタビューを読んだ中学生が送ってくれた「僕も将来、絶対ハイパーレスキューになります!」というコメントだ。この時は涙が出るほどうれしかったのと同時に、人の将来を左右する可能性もあるわけだから生半可な気持ちでやったらあかんなと改めて襟を正した。

逆に「つまらなかった」とか「この記事に何の意味があるのか」というdisりコメントもありがたい。なぜなら一応、興味をもって読んでくれているからだ。最悪なのが読まれないこと。そしてノーリアクションだということ。それに比べれば全然マシなわけだ。中にはごくまれに内容に関して的確な指摘・批判をしてくれる人もいて、今後のよりよい記事制作のために非常に有益なのでものすごくありがたい。この辺は別業界・業種におけるサービスや製品の向上に繋がる部分もあるだろう。

もっと突き詰めれば、発信欲の裏側には、それによって自分自身のことを誰かに知ってほしいという欲求、さらに自分のことを認めてほしいという欲求があるのだとも思う。いわゆる承認欲求というやつだ。というか人間のほとんどの行動は承認欲求で説明できるかもしれないと思っていて、ならば承認欲求も人間特有の本能だと言えるかもしれない。私も自分の書いた記事を読んだ人から「おもしろかった」と言われるだけでもうれしいのに、「こんな記事を書けるなんてすごいね」とか「文章上手だね」と数百年に1回ほど褒めてもらえることがあるが、そんな時は承認欲求が満たされまくって、アタイ、もう死んでもいい...というくらい多幸感に包まれてしまう。

そう考えたら仕事で承認欲求を満たせる私は幸せだなとつくづく思う。

そんなこんなで13年。まさかこのポンコツダメ人間がフリーランスのライターとしてこんなに長く生き延びることができようとは全く思っておりませんでした。
繰り返しになりますが皆様のおかげです。皆様に生かされております。今後ともご指導ご鞭撻のほど、何卒よろしくお願い申し上げます。

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