小股千佐さん(ペンネーム:平林豊子)が亡くなって1年が過ぎた。
時の経つのは早いものだ。
あれから千佐さんのことを片時も忘れたことはない、ということはないが、ふとしたときに思い出している。
たとえば仕事が重なってしんどかったとき。
彼女だったら「何贅沢言うてんねん。仕事ができるだけ幸せやん」と言うだろうなあとか。
彼女はもうどれだけ仕事がしたくてもできない。
あんなに仕事が大好きだったのに。
そう思うと、ついグチをこぼしてしまう自分が恥ずかしくなり、また仕事に立ち向かっていけた。
また、死についても、彼女の闘病日記を読んで以来、考える機会が増えた。
俺もいつガンになってもおかしくない。
突然余命数ヶ月といわれてもおかしくない。
そうなったとき、俺だったらどうするか。
彼女の闘病日記は壮絶としかいいようのないものだった。彼女のように最後までガンと戦えるか。告知されてからの生き方をどう選ぶか。いや、それ以前に残り少ない命となったときに後悔しない生き方ができているか......などなど。
そして、なぜ千佐さんだったのか...。
理由なんて存在するはずがなく、考えてもしょうがないことなのだが、ついつい考えてしまう。
志半ばで若くして逝ってしまった彼女の分まで精一杯生きていかなければ、なんてそんなおこがましいことは思わない。
ただあの世で千佐さんと再開したときに恥ずかしくない生き方、生き様であればいいなあとは思う。
それまでは俺は俺のできることをやっていこうと思う。
時々彼女のことを思い出しつつ。
※ありがとう、お疲れ様、さようなら
時の経つのは早いものだ。
あれから千佐さんのことを片時も忘れたことはない、ということはないが、ふとしたときに思い出している。
たとえば仕事が重なってしんどかったとき。
彼女だったら「何贅沢言うてんねん。仕事ができるだけ幸せやん」と言うだろうなあとか。
彼女はもうどれだけ仕事がしたくてもできない。
あんなに仕事が大好きだったのに。
そう思うと、ついグチをこぼしてしまう自分が恥ずかしくなり、また仕事に立ち向かっていけた。
また、死についても、彼女の闘病日記を読んで以来、考える機会が増えた。
俺もいつガンになってもおかしくない。
突然余命数ヶ月といわれてもおかしくない。
そうなったとき、俺だったらどうするか。
彼女の闘病日記は壮絶としかいいようのないものだった。彼女のように最後までガンと戦えるか。告知されてからの生き方をどう選ぶか。いや、それ以前に残り少ない命となったときに後悔しない生き方ができているか......などなど。
そして、なぜ千佐さんだったのか...。
理由なんて存在するはずがなく、考えてもしょうがないことなのだが、ついつい考えてしまう。
志半ばで若くして逝ってしまった彼女の分まで精一杯生きていかなければ、なんてそんなおこがましいことは思わない。
ただあの世で千佐さんと再開したときに恥ずかしくない生き方、生き様であればいいなあとは思う。
それまでは俺は俺のできることをやっていこうと思う。
時々彼女のことを思い出しつつ。
※ありがとう、お疲れ様、さようなら
コメントする