以前仕事としてやってた私のライフワーク「魂の仕事人」が強制終了してしまい、しばしショックでごはんものどを通らなかったのですが(ウソ)、よくよく自分の周囲を見渡したら、けっこうおもしろくてすごい人がごろごろいるんですよ。
で、じゃあ自前でやったろうじゃないの! と、自分のブログを立ち上げて、というか友人T氏に全面的に作ってもらい、その中で、私の身の回りにいるすごい仕事人に仕事の話や人生の話を聞いて回る完全趣味インタビュー企画がこの「魂の仕事人・私家版(仮)」です。趣味企画というからには、もちろんどこからもギャラは出ません。テレビのバラエティでやってるウソっこ自腹企画などではなく、完全自腹企画です。
本来の第1回は取材も執筆もできていたのですが、オトナの事情でボツになり、しばしショックでビールものどを通らなかったのですが(大ウソ)、その次に取材させていただいた方は第1回の方に勝るとも劣らないすごい方で、さらに個人で看板を掲げて活躍しているため、めでたくここに第1回をリリースできることとなりました。
さて、その記念すべき第1回目は、つい最近までご近所さんだった脚本家の姐御に「すげーおもしろい人がいるから!」と紹介していただいた「絵本作家など」のサトシンさんです。肩書きに「など」がついているとおり、普通の絵本の企画・お話執筆、「おてて絵本」普及活動、「ソング絵本」、講演、歌手など、その活動は多岐にわたり、これまで地元新潟の新聞やラジオは元より、全国ネットのめざましテレビで取り上げられたり、最近は泣く子も黙る朝日新聞のひと欄で紹介されたりしている今、もっとも旬な男です。
●以下、簡単なプロフィール
サトシン(本名:佐藤伸)1962年新潟県出身。三児の父親。元コピーライター。
広告としての受賞歴:「日本新聞協会 新聞社企画部門 新聞広告賞(新潟日報社)」「新潟広告賞グランプリ(第四銀行)」「新潟広告賞大賞(北陸国道協議会)」ほか。
2006年12月、すずき出版より「おったまげたと ごさくどん」(サトシン/作 たごもりのりこ/絵)を出版し、以降、本格的に作家活動に突入。
2007年4月、「おてて絵本普及協会」設立。新しい親子遊び「おてて絵本」の普及とこどもたちの「おてて絵本」ストーリーの採取・紹介に力を入れている。
2009年12月に出版した「うんこ!」がただいま絶好調増刷中。
●公式サイト→絵本作家サトシンHP
●サトシンさんが立ち上げたおてて絵本普及協会
ではインタビューの始まり始まり〜
----------------------------------------------
新潟で絵本を中心に活動
──まず「絵本作家など」という、一見ふざけてんじゃねえの、この人? と思われてもしょうがない肩書きをもつサトシンさんとはいったい何者なのか? というところからお聞かせ願いたいと思っています。最初にサクっと現在の活動について教えてください。
サクっと、ですか。難しいな〜。約3年前(2006年12月)から絵本の創作でもやってみようかな?と、前職のコピーライターを辞めて動き始めたんですが、動いてるうちに絵本から外れることもいろいろやるようになってきちゃいまして。なもんで、「絵本作家"など"」なんです。今は生まれ故郷の新潟に住んでいて、絵本を中心として、まあ、いろいろやってます。
──そのいろいろをサクっとお願いします。
まずは絵本作家としての顔から言うと、僕が本格的に絵本作家になろうと活動し始めたのは2006年の年末からなんですが、翌2007年には月刊絵本を2冊出すことができ、2008年にはそのうち2冊が単行本に。現在、単行本になったのは、海外出版も含めると4冊。そのほかに企画としてお買い上げいただき、出版に向けて動いているのが、えーと、6本。合わせてちょうど10冊ですね(2010年1月現在)。
絵本作家になろうとしてからまだ3年ちょい、絵本作家になってからだと、まだ2年弱。どこの馬の骨ともわからない駆け出しのペーペーだってのに、多くの版元さんに興味を持っていただき、これだけカタチにでき、さらに動き続けられるのはありがたいことだと思っています。
そして、絵本ともうひとつ、活動の柱となっているのが、「おてて絵本」の普及活動です。「おてて絵本」自体については後ほど詳しくお話しますが、この活動を通して僕の話を聞きたいという人が段々増えてきまして、講演やワークショップの依頼などもたくさんいただくようになってきました。そのため、声をかけていただくままに全国各地を飛び回ってます。それから最近は「ソング絵本」などの歌のプロジェクトも進行中で、さらに水面下で動かしつつある企画もいろいろ。打ち合わせやプレゼンなどで毎月数回は東京にも出てきてます。
後は新聞、テレビ、雑誌、ラジオの取材を受けたり、出演したりといったことも多くなってますね。
──手広くやってますねぇ。じゃあかなり儲かってしょうがないみたいな感じなんでしょうねぇ。
いや、絵本は初版数千部の世界だし、僕は絵は描かない、企画とテキスト専門の作家ですし。そのほかの講演とかワークショップとかのギャラをかき集めても、まだまだ全然食えてませんよ。
──へ〜そうなんですか。絵本も順調だし、フジテレビの「めざましテレビ」とか朝日新聞の「ひと」欄とか、テレビや新聞、ラジオに雑誌などいろんなマスメディアで紹介されまくって、今や全国区という感じもするんですけど、それでもまだ厳しいんですか。意外です。
サラリーマンからフリーのコピーライターに
──では各仕事についての詳しい話は後で聞かせていただくとして、フリーの「絵本作家など」になった経緯を教えてください。現在は新潟在住ということですが、そもそもは東京で働いてたんですよね?
そうですね。東京の広告制作会社でコピーライターとして働いていました。その後フリーになるんですけれども。
──なぜ辞めたんですか?
ちょうど今から20年前、僕が26歳の頃に、第一子、娘が生まれたんです。カミサンは看護師なんですけど、産休・育休を取って家で娘の育児をしてたんですね。で、1年後、育休明けが迫ってきたとき、病院に復帰しなきゃいけないけど、近所に幼い子供を預けられる祖父母もいないし、さてどうしようかと。そのとき、僕が軽い冗談のつもりで、「じゃあオレが家に入ろうか?」って言ったんですよ。そしたらかみさんは「えーっ、そうなん!」って喜んじゃって。今まで育児でずっと家にこもりっきりで何にもできなかったから、新しい洋服を買ったり、友達とごはんを食べに行ったり、あれやりたい、これやりたいとか、とにかくびゃーっとしゃべり始めたんです。あんまりうれしそうに活き活きとしゃべりまくってるのを見たら、「なんちゃって〜」って言えない状態になっちゃったんですよね。
もっとも、自分自身も当時は広告の制作会社に勤めてて、毎日終電近くで、泊り込みや土日出社もかなり頻繁で、こんなに働いてどうするん!? って感じだったんですよ。子供ってゼロ歳から1歳の間に激変、急成長するんですが、自分の長女のときにその面白いであろう時期があんまり見られなかったというちょっとした残念さも心の中ではあったんでしょうね。それで、「じゃあ、明日会社に辞めるって言ってくるわ」って言っちゃった。
で、翌日会社に言って、これこれこういう事情で僕が子供の面倒をみることになったので会社を辞めますって上司に言ったら、辞めることはともかく、その理由をまったく信じてくれないわけ。「お前なあ、どうせならもっと信じられる嘘をつけよ」って。当時はそういう理由で会社を辞める男はあんまりいなかったんでしょうね。「違うだろ、辞めたい理由は他にあるんだろ。会社のどこが不満なんだ? オレの口が臭いからか?」とかね。いや、そうじゃなくてほんとに子供のためなんだとどこまでも言い張ったら、どこまでも本当の理由を明かさないヤツっていう烙印を押されて、居づらくなっちゃって。その上司とも他の社員ともギクシャクしちゃって、そんなこんなで、送別会もなかったんだよなあ。あ、思い出したら涙が...いやまあ、うそ泣きですけどね。
──うそ泣きかい! まあそれはつらいですよね。で、会社を辞めて家に入ったと。会社を辞めるときは、フリーでコピーライターをやろうと思ってたんですか?
いや、当初はもう完全にコピーライターとかプランナーという仕事そのものを辞めて育児と家事に専念するつもりでいました。でも、辞めて少し経った頃に、「子供を育てながらでもできる範囲でいいから仕事を手伝って」みたいなことを代理店やプロダクションに言われ始めて。そう言われると僕もむげには断れないし、ちょこちょこっとならやってみっかな? とお手伝いをしているうちに、なし崩し的にフリーのコピーライターになったって感じですね。
新潟にIターン→絵本作家に
──新潟に帰ったのは?
1992年、30歳になった頃ですね。そのとき、東京にいることが当たり前で、東京にいる人だけしかイメージしないで広告つくってる自分にはたと気づいて。考えてみれば、新潟にしろ、福岡にしろ、金沢にしろ、東京以外の場所はすべて地方じゃないですか。地方こそが多くの人が暮らす場であり、フツーの暮らしの舞台じゃないか、と。情報発信するにしても、そういう感覚はちゃんと持ってないとマズいだろ、と思ったのが、そもそものきっかけ。
それともうひとつ、キムチにしても、地方の名産品にしても、その産地で食べるのが一番うまいじゃないですか。それ考えると、人間も産地、つまり出身地でこそ能力をフルに発揮できるんじゃないかとふと思い、そう気づいたらたまんなくなっちゃって、気づいてすぐ周囲のお仕事の関係先には「東京での仕事もう辞めます宣言」をして、生まれ故郷の新潟にIターンしたんです。
──Iターンすることに奥さんは賛成だったんですか?
カミサンは高校の後輩なんですけどね。いや、自分が卒業してから入学してきたので、一緒の時期には通学してないんですけど、そんなわけで、元々新潟生まれなんです。だから賛成、ってことはなかったですね。賛成もなにも、相談しないで先に「東京での仕事もう辞めます宣言」しちゃったから。で、「私の仕事はどうするん?」って言うから「病院だったら新潟にもいっぱいあるじゃん」と。
それはまあよかったんですが、元々新潟生まれだけに東京暮らしの心地よさも知ってるわけです。冬でも青空の日が多くあったかくて住みやすいし、遊びに行くところもいっぱいあるし。しかも、新潟に戻るなら自分の実家に一緒に住んで、なんて話もしたもんだから、嫁姑問題の心配もしちゃって、最初は「反対、反対、絶対反対!」てな感じでした。そこはまあ、これから先、長期的な暮らしやすさ、こどものための環境など、新潟ならではのよさもアピールしつつ、なんたってさっき言ったような仕事上の地方で暮らす意義を力説して、「このまま東京にいたらオレダメになると思うんだ!」とか言っちゃって、「それほど言うなら」って納得してもらった感じです。結局カミサン、大事なところでは自分に従ってくれるわけで、そういうところ見てると、「ホントにオレのこと好きなんだな〜、愛の奴隷だな〜」なんて思っちゃうわけです。
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さすがは口から生まれたサトシンさん。ですが、新潟に戻ってからもひと波乱あったのでした......。
次回は絵本作家になったきっかけなどについて語っていただきます。乞う、ご期待!
●その2を読む
で、じゃあ自前でやったろうじゃないの! と、自分のブログを立ち上げて、というか友人T氏に全面的に作ってもらい、その中で、私の身の回りにいるすごい仕事人に仕事の話や人生の話を聞いて回る完全趣味インタビュー企画がこの「魂の仕事人・私家版(仮)」です。趣味企画というからには、もちろんどこからもギャラは出ません。テレビのバラエティでやってるウソっこ自腹企画などではなく、完全自腹企画です。
本来の第1回は取材も執筆もできていたのですが、オトナの事情でボツになり、しばしショックでビールものどを通らなかったのですが(大ウソ)、その次に取材させていただいた方は第1回の方に勝るとも劣らないすごい方で、さらに個人で看板を掲げて活躍しているため、めでたくここに第1回をリリースできることとなりました。
さて、その記念すべき第1回目は、つい最近までご近所さんだった脚本家の姐御に「すげーおもしろい人がいるから!」と紹介していただいた「絵本作家など」のサトシンさんです。肩書きに「など」がついているとおり、普通の絵本の企画・お話執筆、「おてて絵本」普及活動、「ソング絵本」、講演、歌手など、その活動は多岐にわたり、これまで地元新潟の新聞やラジオは元より、全国ネットのめざましテレビで取り上げられたり、最近は泣く子も黙る朝日新聞のひと欄で紹介されたりしている今、もっとも旬な男です。
●以下、簡単なプロフィール
サトシン(本名:佐藤伸)1962年新潟県出身。三児の父親。元コピーライター。
広告としての受賞歴:「日本新聞協会 新聞社企画部門 新聞広告賞(新潟日報社)」「新潟広告賞グランプリ(第四銀行)」「新潟広告賞大賞(北陸国道協議会)」ほか。
2006年12月、すずき出版より「おったまげたと ごさくどん」(サトシン/作 たごもりのりこ/絵)を出版し、以降、本格的に作家活動に突入。
2007年4月、「おてて絵本普及協会」設立。新しい親子遊び「おてて絵本」の普及とこどもたちの「おてて絵本」ストーリーの採取・紹介に力を入れている。
2009年12月に出版した「うんこ!」がただいま絶好調増刷中。
●公式サイト→絵本作家サトシンHP
●サトシンさんが立ち上げたおてて絵本普及協会
ではインタビューの始まり始まり〜
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新潟で絵本を中心に活動
──まず「絵本作家など」という、一見ふざけてんじゃねえの、この人? と思われてもしょうがない肩書きをもつサトシンさんとはいったい何者なのか? というところからお聞かせ願いたいと思っています。最初にサクっと現在の活動について教えてください。
サクっと、ですか。難しいな〜。約3年前(2006年12月)から絵本の創作でもやってみようかな?と、前職のコピーライターを辞めて動き始めたんですが、動いてるうちに絵本から外れることもいろいろやるようになってきちゃいまして。なもんで、「絵本作家"など"」なんです。今は生まれ故郷の新潟に住んでいて、絵本を中心として、まあ、いろいろやってます。
──そのいろいろをサクっとお願いします。
まずは絵本作家としての顔から言うと、僕が本格的に絵本作家になろうと活動し始めたのは2006年の年末からなんですが、翌2007年には月刊絵本を2冊出すことができ、2008年にはそのうち2冊が単行本に。現在、単行本になったのは、海外出版も含めると4冊。そのほかに企画としてお買い上げいただき、出版に向けて動いているのが、えーと、6本。合わせてちょうど10冊ですね(2010年1月現在)。
絵本作家になろうとしてからまだ3年ちょい、絵本作家になってからだと、まだ2年弱。どこの馬の骨ともわからない駆け出しのペーペーだってのに、多くの版元さんに興味を持っていただき、これだけカタチにでき、さらに動き続けられるのはありがたいことだと思っています。
そして、絵本ともうひとつ、活動の柱となっているのが、「おてて絵本」の普及活動です。「おてて絵本」自体については後ほど詳しくお話しますが、この活動を通して僕の話を聞きたいという人が段々増えてきまして、講演やワークショップの依頼などもたくさんいただくようになってきました。そのため、声をかけていただくままに全国各地を飛び回ってます。それから最近は「ソング絵本」などの歌のプロジェクトも進行中で、さらに水面下で動かしつつある企画もいろいろ。打ち合わせやプレゼンなどで毎月数回は東京にも出てきてます。
後は新聞、テレビ、雑誌、ラジオの取材を受けたり、出演したりといったことも多くなってますね。
──手広くやってますねぇ。じゃあかなり儲かってしょうがないみたいな感じなんでしょうねぇ。
いや、絵本は初版数千部の世界だし、僕は絵は描かない、企画とテキスト専門の作家ですし。そのほかの講演とかワークショップとかのギャラをかき集めても、まだまだ全然食えてませんよ。
──へ〜そうなんですか。絵本も順調だし、フジテレビの「めざましテレビ」とか朝日新聞の「ひと」欄とか、テレビや新聞、ラジオに雑誌などいろんなマスメディアで紹介されまくって、今や全国区という感じもするんですけど、それでもまだ厳しいんですか。意外です。
サラリーマンからフリーのコピーライターに
──では各仕事についての詳しい話は後で聞かせていただくとして、フリーの「絵本作家など」になった経緯を教えてください。現在は新潟在住ということですが、そもそもは東京で働いてたんですよね?
そうですね。東京の広告制作会社でコピーライターとして働いていました。その後フリーになるんですけれども。
──なぜ辞めたんですか?
ちょうど今から20年前、僕が26歳の頃に、第一子、娘が生まれたんです。カミサンは看護師なんですけど、産休・育休を取って家で娘の育児をしてたんですね。で、1年後、育休明けが迫ってきたとき、病院に復帰しなきゃいけないけど、近所に幼い子供を預けられる祖父母もいないし、さてどうしようかと。そのとき、僕が軽い冗談のつもりで、「じゃあオレが家に入ろうか?」って言ったんですよ。そしたらかみさんは「えーっ、そうなん!」って喜んじゃって。今まで育児でずっと家にこもりっきりで何にもできなかったから、新しい洋服を買ったり、友達とごはんを食べに行ったり、あれやりたい、これやりたいとか、とにかくびゃーっとしゃべり始めたんです。あんまりうれしそうに活き活きとしゃべりまくってるのを見たら、「なんちゃって〜」って言えない状態になっちゃったんですよね。
もっとも、自分自身も当時は広告の制作会社に勤めてて、毎日終電近くで、泊り込みや土日出社もかなり頻繁で、こんなに働いてどうするん!? って感じだったんですよ。子供ってゼロ歳から1歳の間に激変、急成長するんですが、自分の長女のときにその面白いであろう時期があんまり見られなかったというちょっとした残念さも心の中ではあったんでしょうね。それで、「じゃあ、明日会社に辞めるって言ってくるわ」って言っちゃった。
で、翌日会社に言って、これこれこういう事情で僕が子供の面倒をみることになったので会社を辞めますって上司に言ったら、辞めることはともかく、その理由をまったく信じてくれないわけ。「お前なあ、どうせならもっと信じられる嘘をつけよ」って。当時はそういう理由で会社を辞める男はあんまりいなかったんでしょうね。「違うだろ、辞めたい理由は他にあるんだろ。会社のどこが不満なんだ? オレの口が臭いからか?」とかね。いや、そうじゃなくてほんとに子供のためなんだとどこまでも言い張ったら、どこまでも本当の理由を明かさないヤツっていう烙印を押されて、居づらくなっちゃって。その上司とも他の社員ともギクシャクしちゃって、そんなこんなで、送別会もなかったんだよなあ。あ、思い出したら涙が...いやまあ、うそ泣きですけどね。
──うそ泣きかい! まあそれはつらいですよね。で、会社を辞めて家に入ったと。会社を辞めるときは、フリーでコピーライターをやろうと思ってたんですか?
いや、当初はもう完全にコピーライターとかプランナーという仕事そのものを辞めて育児と家事に専念するつもりでいました。でも、辞めて少し経った頃に、「子供を育てながらでもできる範囲でいいから仕事を手伝って」みたいなことを代理店やプロダクションに言われ始めて。そう言われると僕もむげには断れないし、ちょこちょこっとならやってみっかな? とお手伝いをしているうちに、なし崩し的にフリーのコピーライターになったって感じですね。
新潟にIターン→絵本作家に
──新潟に帰ったのは?
1992年、30歳になった頃ですね。そのとき、東京にいることが当たり前で、東京にいる人だけしかイメージしないで広告つくってる自分にはたと気づいて。考えてみれば、新潟にしろ、福岡にしろ、金沢にしろ、東京以外の場所はすべて地方じゃないですか。地方こそが多くの人が暮らす場であり、フツーの暮らしの舞台じゃないか、と。情報発信するにしても、そういう感覚はちゃんと持ってないとマズいだろ、と思ったのが、そもそものきっかけ。
それともうひとつ、キムチにしても、地方の名産品にしても、その産地で食べるのが一番うまいじゃないですか。それ考えると、人間も産地、つまり出身地でこそ能力をフルに発揮できるんじゃないかとふと思い、そう気づいたらたまんなくなっちゃって、気づいてすぐ周囲のお仕事の関係先には「東京での仕事もう辞めます宣言」をして、生まれ故郷の新潟にIターンしたんです。
──Iターンすることに奥さんは賛成だったんですか?
カミサンは高校の後輩なんですけどね。いや、自分が卒業してから入学してきたので、一緒の時期には通学してないんですけど、そんなわけで、元々新潟生まれなんです。だから賛成、ってことはなかったですね。賛成もなにも、相談しないで先に「東京での仕事もう辞めます宣言」しちゃったから。で、「私の仕事はどうするん?」って言うから「病院だったら新潟にもいっぱいあるじゃん」と。
それはまあよかったんですが、元々新潟生まれだけに東京暮らしの心地よさも知ってるわけです。冬でも青空の日が多くあったかくて住みやすいし、遊びに行くところもいっぱいあるし。しかも、新潟に戻るなら自分の実家に一緒に住んで、なんて話もしたもんだから、嫁姑問題の心配もしちゃって、最初は「反対、反対、絶対反対!」てな感じでした。そこはまあ、これから先、長期的な暮らしやすさ、こどものための環境など、新潟ならではのよさもアピールしつつ、なんたってさっき言ったような仕事上の地方で暮らす意義を力説して、「このまま東京にいたらオレダメになると思うんだ!」とか言っちゃって、「それほど言うなら」って納得してもらった感じです。結局カミサン、大事なところでは自分に従ってくれるわけで、そういうところ見てると、「ホントにオレのこと好きなんだな〜、愛の奴隷だな〜」なんて思っちゃうわけです。
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さすがは口から生まれたサトシンさん。ですが、新潟に戻ってからもひと波乱あったのでした......。
次回は絵本作家になったきっかけなどについて語っていただきます。乞う、ご期待!
●その2を読む
はじめまして。
ツイッターから来ました。
超面白いブログですね。
これからも読ませて頂きます!!サトシンさんにも興味しんしん。ちょっと本を探してみます!!
今後とも頑張ってください。
深いインタビューWEBですね。
野呂エイシロウ
野呂様
はじめまして。
うれしすぎるコメント、ありがとうございました!
励みになります。
おもしろいと感じていただけたなら、
それはサトシンさんのおかげです。
とにかく素材がすばらしいので。
作品もすごくおもしろいですよ。
おすすめです。
今後ともよろしくお願いいたします。
はじめまして。サトシンさんのHPから流れつきました。サトシンさんの人となりが身近に感じられてよかったです。
でもって、山下さんのプロフィールを見て出身が同県(私はコテコテの地元っ子)驚き あわてて(?)コメントしています。また覗かせていただきます!
>nakamuraさま
はじめまして。コメントありがとうございます。
あらま。同郷だったんですね。
地元にはたまに帰るとほっとします。
やっぱ中学・高校の同級生と飲んでるときが一番楽しく、
本当の自分に戻れるような気がします。
最近忙しくて更新できていませんが、ヒマを見つけて続きを書くので、
今後ともご愛読のほど、よろしくお願いします。