一筆入魂

フリーライター/編集者 山下久猛のブログ

2009
11/19
日記

ありがとう、お疲れさま、さようなら

先ほど、ライター仲間が亡くなったという報せがライターの集まりのメーリングリストに流れた。

亡くなった人の名前を見た瞬間、うそお!!!!!と叫んでしまうくらい驚いた。

最後に会ったのはほんの3、4カ月前で、そのときは超元気で、一緒に酒を飲みながらいろいろ話したのに...。

確かに彼女は数年前にガンを患っていたが、初期だったこともあり、それほど深刻ではないと聞いており、手術をして以降は、普通の生活を取り戻していたようだった。

実際に、手術後に会ったときに「大丈夫なの?」と聞くと、もう完治したから大丈夫、みたいな返答で、元気そうだったから安心していた。

なのに......。

しばらくショックで「なんで?」という言葉しか出てこなかった。


彼女と初めて会ったのは、4、5年前ほど前。ライターズネットワークというフリーライターの集まりの会合だった。
まだガンが発覚する前だった。

その頃、俺は社員編集者で、彼女は体当たり系のフリーライターで話もとてもおもしろかったから、一緒に組んで仕事できればいいなあと思っていて、何度か飲みにいこうという話もしていたのだが、なかなかお互いの都合がつかず、伸び伸びになっている間に、彼女がガンになってしまい、ますます会えなくなってしまった。

とりあえず彼女のmixi日記で軽いガンで初期の発見だったから手術して元気になったということを知りほっとしていた。

再会したのはそれから2年後くらい。またしてもライターズネットワークの会合だった。

久々に会った彼女はやっぱり初めて会った頃の元気ハツラツさはなく、やつれてはいたものの、普通に話もできるし酒も飲めるし、健康な人と変わりなかった。だから安心していた。

ここ1、2年は数カ月に一度、ライターズの会合で会い、その後打ち上げの席でいろいろと話すようになった。

話の内容は決まって、最近仕事が減ったり、ギャラを下げられたりしてて厳しいよねー、でもお互いがんばろうねー、みたいな話だった。

だから友人とまでは呼べないかもしれないが、確かに仲間だった。

同じフリーライターという境遇だからこそたまにしか会わなくても、あまり言葉を交わさなくてもわかりあえたことがたくさんあったような気がする。

この超厳しい出版不況の中を生き抜いていこうとする同志というか戦友というか......。

それに彼女は人として尊敬できるライターだった。

最近の彼女はファッション系で活躍しており、昨年出したアジアンファッションの本が大好評で、今年も続編を出版していた。

昨年は俺も本を出版できたので、そのへんでもいろいろと語り合うことができた。
もっとも、彼女の本は俺のと違ってかなり売れていたが。

さらに、ライターズネットワークの役員も務めていて、仕事の合間に自分の人脈を使って講演会や勉強会を主催したりもしていた。どの会も中身の濃い、本当にためになる内容で、彼女の人脈の豊かさに感動していた。

だからたまに会うと、こいつもがんばってるんだから俺ももっとがんばんなきゃ、みたいな気持ちになれた。

今年出した続編も好調なようで、まさにこれからというときだっただけに、本当に残念でならない。

まったく神も仏もあったもんじゃないと思うが、一方で、続編を出すまで待ってくれたのかなとも思う。

続編を出すまでが彼女の役割だったんじゃないかとも。そう思わないとやってられない。


もうひとつ残念なのは、お見舞いに行けなかったこと。
親しい友人でもないので、入院していたことを知らされなかったのは当然なんだけど、最期に一回でいいから会いたかったなぁ。


彼女、小股千佐さん(ペンネーム:平林豊子)のご冥福を心よりお祈り申し上げます。
もう締め切りに追いたてられることもないんだよね。
今までよくがんばったよ。おつかれさま。
つっても、天国でも原稿ガリガリ書いてそうだけど...。



明日、さよならとありがとうを言いに行ってきます。


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※追記

11月19日、20日と、お通夜とお別れの会に行ってきました。

19日は、大事な仲間のお通夜だというのに、いきなりやらかしてしまいました。

会場に入って、遺族席側に座ってしまったのです。

どこまでアホなんだ、俺って...。
遺族の皆様、申し訳ございません。

斎場で、千佐ちゃんの小さい頃からの成長ムービーをスクリーンで流していたんですが、遺族席側の方が映像が見やすかったものでつい......。


お通夜はいわゆる仏教式ではなく、非常にアットホームというか、心温まるお通夜だった。

まず、お父さんからの挨拶があり、その後、参列した人が千佐ちゃんとの思い出をひとことずつ語っていくという趣向。

生前の千佐ちゃんは、どういう人とどう付き合っていたのかというのを知りたいというお父さんの願いからだった。

小学校からの友人、飲み友達、ライター仲間、いろんな人により、涙ながらに語られる千佐ちゃんとの思い出話は、どれも悲しくも、心温まるものだった。

遺族側の席に座った俺には当然マイクは回ってこなかった。
お父さんにあんなことやこんなことを知ってもらおうと、必死で頭の中でリハーサルしてたのに...

俺の大バカ。。。


時間とともに参列者が増え、会場に入りきらないほどの人であふれた。

無宗教なので、焼香ではなく、献花だった。
最期に棺の中に入った千佐ちゃんの顔を見たときは、さすがにこみ上げてくるものを我慢できなかった。

安らかなきれいな顔だったんだけど、やっぱり、最後に会ったときとは比べ物にならないほど、やつれ、やせ細り、闘病生活の壮絶さを物語っていた。

その顔を見ながら、心の中で、お疲れさま、ありがとう、さようならと言った。



斎場には千佐ちゃんの生前の写真とか作品とか記事が展示されていたのだが、中でも闘病日記は壮絶の一言だった。

展示されていたのは、ナンバー16くらいまであったうちのいくつかだったのだが、さすがライターらしく、再入院してから亡くなるまでのことが克明に記されてあった。本人が書けなくなると、身内の人が記録していたようだった。

俺は千佐ちゃんのガンが再発したことも、入院したことも知らなかったから、入院した経緯や、入院してからのことをできるだけ知りたかった。また、もし俺が千佐ちゃんだったら、自分の書いたものは全部読んでほしいよなと思ったからひたすら読んだ。

読んでる途中でやっぱりこらえきれなくなった。

そこには俺の知らない千佐ちゃんがいた。

正直、読むのはつらかった。

いや、俺なんかがつらかったとか言っちゃいけないのは十分わかっているのだけれど。

思わず日記をもつ手が震えてしまうような言葉も多数あったのだが、ここで軽々しく書けるような内容ではないので控える。


あらかた読んだ後、お父さんともお話させていただいた。
とても立派な人だった。

お父さんの、「こんなに大勢の人たちに集まって悔やんでいただいて、千佐は幸せな人生だったんだよ」との言葉に胸が締め付けられた。

そのとおりだと思ったし、それが千佐さんの人徳なんだと思った。


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翌日のお別れの会は、前日と打って変わって抜けるような晴天だった。

お別れの会では、ちゃんと友人側の末席に座った。

前日とほぼ同じで、お父さんからの挨拶に始まり、3名の友人代表による別れの言葉、献花と進んだ。

待ち時間の間、昨日読みきれなかった闘病日記をまた読む。可能な限り読みたかった。

そして最後の千佐ちゃんが収まった棺への献花。
最後に千佐ちゃんに花を添えるときに涙があふれて止まらなかった。
闘病日記を読んで、彼女がいかにガンと戦い、死んでいったかを知っただけに、前日のお通夜とはまったく違った感情があふれてきた。

悲しみの質が違うとでもいうような......。


死水を取りながら、
やっと苦しみから解放されたんだね
よくがんばったよ
おつかれさま
と語りかけた。


もっと仕事がしたかっただろう、もっとおいしいお酒や料理を飲み食いしたかっただろう、もっといろんなところを旅したかっただろう、もっと彼氏といちゃいちゃしたりけんかしたりしたかっただろう、結婚もしたかっただろう、子供も生みたかっただろう......

もっと生きたかっただろう。

どうして千佐ちゃんが死ななければならなかったのか。

そう思うと悲しすぎて涙が止まらなかった。


最後に棺を閉めるときに、棺にしがみついて号泣する親友の女性の姿に心が痛んだ。

俺も、もし棺の中に収まっているのが親友だったらと想像するとたまらなかった。
これが、もし最愛の彼女だったり妻だったりすると、完全に人格が崩壊してしまうに違いない。

そう思うと、喪主である彼氏は立派で気丈だった。
この2日間を通しての振る舞いを見たり、発言を聞いたりして、本当にすごい男だと思った。


そんなに親しい間柄でもないのに、お別れの会に顔を出していいのかなと正直悩んだが、行ってよかった。

入院してからの千佐ちゃんのことを知った上で、お別れできたから。

あちらでも元気で。

いつかまた飲める日を楽しみにしています。

コメント(2)

山下 久猛 さま

突然のご連絡で失礼いたします。小股千佐の父親でございます。

千佐の通夜、告別式の際には、ご多忙の中ご参列いただき、誠に有り難うございました。改めて厚くお礼申し上げます。

ご存じかもしれませんが、亡娘千佐の追悼のための本を出したいと思い、ダイヤモンドビッグ社の高島さん、ライターズネットワークの長さんにご協力いただき、故人が生前にご縁のあった方々からたくさんの追悼文をお寄せいただきました。只今、その編集作業を進めているところです。

2009年11月19日付けの、千佐を悼んで下さった貴台のこの日記を拝見し、感激いたしました。つきましては、この文章をぜひ千佐の追悼本に収載させて頂きたいと思い、そのお許しを賜りたくお願い申し上げる次第です。

私のメールアドレスにお返事を賜れば幸甚です。電話でご連絡頂いても結構です。
よろしくお願い申し上げます。


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