一筆入魂

フリーライター/編集者 山下久猛のブログ

2010
08/17
日記

忘れられない夏の思い出[完結編]

中編から続く)

バイク消火後、高速道路交通警察隊の庁舎に連行され、そこから本格的な取り調べが始まった。

どこから来てどこへ向かうところだったのか、なぜ燃えたのかだけで済むと思っていたら意外にも長時間かかった。

取調べが終わる頃には夜も明け、外は明るくなっていた。雲ひとつない夏空になるだろうことがうらめしかった。取調べ室のブラインド越しから見た空は今でも忘れられない。

庁舎を出てから、バイクの残骸を積んだレッカー車に同乗してレッカー屋の事務所まで行った。

「じゃ、これにサインして」。追い討ちをかけるように手渡された請求書にはレッカー代として確か7万円くらいの金額が記載されていた。軽くめまいがした。生活費を自力で工面していた貧乏学生だった当時の俺としては超大金だったのだ(今もだが)。さらに「アスファルトもだいぶ溶けてたからその分の請求も行くかもね」との一言に膝が折れそうになった。

そして事務所裏のバイクや車の残骸が山のように積まれた場所でNS400だったものを降ろすのを見届けた。

初めて自分の金で買った、いろんな思い出が詰まったバイク。
自分の足がもがれたような気になった。
お骨を拾うように、何か焼け残った部品でも持って帰って線香のひとつでも上げてやろうかともと思ったが、悲しみが増すだけだからやめた。

タンデムシートに積んでいた帰省用の荷物は全焼ではなかったが、Tシャツとかパンツとか中途半端に焼けていたものが多くほとんどが使い物にならなかった。家庭教師先の親切なお母さんからいただいたポロシャツは全焼だった。


さすがにそのまま愛媛に帰る気にはなれず、というか心が完全に折れてしまっていたので、レッカー屋の親切なおじさんに最寄の駅まで送ってもらい、焼け焦げたボストンバックを抱えて横浜のアパートに帰った。

せめて名古屋辺りまでは到達したかったと思うと泣けてきた。
その夜は言葉にならない喪失感を抱きつつ枕をしとどに濡らしつつリベンジを誓った。

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その翌年、新しいバイク、88NSR250で再度チャレンジした。
富士川を抜けたとき、思わずスロットルから右手を離し、ガッツポーズをした。
その後も途中で燃え尽きることなく、無事愛媛まで辿り着けた。
瀬戸大橋から眺めた瀬戸内海の絶景は今でも脳裏に焼きついている。
(完)


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