東日本大震災以来、避難所の景色を変えるため、段ボールベッドの普及に尽力しているJパックス代表取締役社長・水谷さんにインタビューする連載企画。前回はこの活動を始めるきっかけや、避難者のために家族の反対を押し切り、まさに命懸けで被災地を往復した頃の話をうかがいました。第2回では水谷さんが目標達成するために利用した「もっと大きな力」、目の前に現れた高く分厚い壁、それをどう乗り越えたのかについて語っていただいております。
今回も魂の言葉てんこ盛りだけどあえて1つだけ選ばなければならないとしたらやっぱココ!
↓
─自分の会社が苦しいのに無償で段ボールベッドを提供して、家族の反対を押し切って睡眠時間を削って大阪と東北の避難所を何度も往復して、しかもせっかく持って行ってもいらんと言われて。もうやめようかなと思ったことはないんですか?
確かになかなか受け入れてもらえなかったのはものすごくつらくて、嫌にもなりましたよ。俺は一体何やってんのやろなって......。でも、避難所で雑魚寝して亡くなってる人がいる。この災害関連死を一つでもなくしたい。そして医者はベッドがあったら災害関連死は防げると言っている。だったらやらんとあかん、少々のことではあきらめへんぞ、と決意していたから、避難所に断られ続けても心が折れなかったんです。この思いは現在に至るまでずっと同じです。
あと公取委を説得した話とかも超絶胸熱鳥肌もんでっせ!
よろしくお願いします。
コメントする