5月5日、パワー・オブ・ジャパン(POJ)主催のボランティア活動に参加してきました。
活動場所は福島原発からほど近い南相馬。
参加の経緯は、被災地支援呑み会でPOJの中心的人物の山野辺さんと知り合う→その活動内容と山野辺さん自身の熱さにほれる→Facebookでつながる→出発前日の3日にPOJ主催の東北支援BBQに参加→今回のボランティアのことを知る→清掃ボランティア要員件撮影係として参加。
という流れ。
スケジュールは5月4日深夜にバスで東京駅を出発→5日早朝南相馬着→清掃作業(水田溜池の瓦礫掘り起こし&撤去)→夕方南相馬発→深夜東京駅着という強行軍。
南相馬へ着いたのが朝の6時30分。ちょうど6時間。
POJスタッフのブリーフィングでは測定したところ現在の南相馬の放射線は0.12マイクロシーベルト毎時とのこと。 練馬でたしか0.04とか。松戸と同じくらいで練馬よりはちょっと高い。
道の駅「南相馬」で観光案内板を見た時、以前「3.11研」で福島から新潟へ避難している人たちに電話や避難所へ行って聞き取り調査をした人々のことを思い出す。
あれから1年。あの人達は今どうしているだろうか...
そろそろあっちの活動にも復帰しなければ。
今回は清掃班と仮設住宅への物資運搬班の2班合計で200名が参加。
清掃班が作業するのは津波をかぶった水田の裏側にある溜池。道路とあぜ道を乗り越えて波が到達したため、溜池に大量の瓦礫がなだれ込んだ。今は水を止めているが、水田が復活した際、ここから水を水田に供給。そのとき溜池に瓦礫が残っていたら水田への用水路に詰まってしまい、水田に水が供給されないため撤去する、というのが作業目的と内容。
しかし溜池は手付かずで、どこにどんな瓦礫が埋まっているかわからない。POJのスタッフがいうとおりなかなかヘビーな作業である。
ところどころ津波にやられた家が。でも残骸だけでもあるのはましな方。3.11前はもっと家が建っていたという
現場もこれまで一帯でご遺体が40体くらい上がってて、作業する場所付近で8体上がって、まだ4体上がってないというヘビーな場所。「何か見つかった場合はすぐに各班のリーダーに報告してください」とのこと。見つかることを祈りながら作業開始。
作業の前に亡くなった方々のために黙祷
1年以上経ってるのにちょっと掘るだけでガードレール、木材、畳、鉄の塊、アルミサッシの枠、プラスチック、CD、鞄、衣類などなどが次々と大量に出てきた。まさに手付かず。特に畳と最後のなんかの鉄の塊は掘り出すのと運ぶのに骨が折れた。特に腰に爆弾を抱えている身にとっては(苦笑)
まずショベルで軽く泥を突き刺して何かに当ったら掘り出す。
ガードレール発掘。改めて津波の凄まじさを実感。
瓦礫は木、鉄、ビニールなど、分別して集める。みるみるうちに瓦礫の山が築かれた。特に畳とひしゃげてよくわからない鉄の塊がキツかった。
1時間のお昼休憩。久々の肉体労働のあとのメシは格別!
この弁当自体がめちゃうまかった
もちろん参加者は被災した方々のために何かしたいというのが動機なのだが、作業自体は楽しんでやっていたような気がする。もちろんおれも。泥の中に埋もれ ている瓦礫を見つけ出し、掘り起こすことに集中していた。誤解を恐れずにいえば、宝探しのような感覚。この「楽しむ」感覚って大事だと思う。特に継続する 上では。
こんな手付かずな場所がまだまだあるのだろう。自分の体を動かすことによって改めて3.11の大津波の凄まじさを思い知った。これまでの取材で感じたのとはまた違った思いである。
POJでは今後も継続的にボランティアツアーを行うとのことなので、都合が合えばまた参加したい。
●今回参加した5/5南相馬物資配布・清掃ボランティア詳細はこちら
●POWER OF JAPANとは
活動場所は福島原発からほど近い南相馬。
参加の経緯は、被災地支援呑み会でPOJの中心的人物の山野辺さんと知り合う→その活動内容と山野辺さん自身の熱さにほれる→Facebookでつながる→出発前日の3日にPOJ主催の東北支援BBQに参加→今回のボランティアのことを知る→清掃ボランティア要員件撮影係として参加。
という流れ。
スケジュールは5月4日深夜にバスで東京駅を出発→5日早朝南相馬着→清掃作業(水田溜池の瓦礫掘り起こし&撤去)→夕方南相馬発→深夜東京駅着という強行軍。
南相馬へ着いたのが朝の6時30分。ちょうど6時間。
POJスタッフのブリーフィングでは測定したところ現在の南相馬の放射線は0.12マイクロシーベルト毎時とのこと。 練馬でたしか0.04とか。松戸と同じくらいで練馬よりはちょっと高い。
道の駅「南相馬」で観光案内板を見た時、以前「3.11研」で福島から新潟へ避難している人たちに電話や避難所へ行って聞き取り調査をした人々のことを思い出す。
あれから1年。あの人達は今どうしているだろうか...
そろそろあっちの活動にも復帰しなければ。
今回は清掃班と仮設住宅への物資運搬班の2班合計で200名が参加。
清掃班が作業するのは津波をかぶった水田の裏側にある溜
しかし溜池は手付かずで、どこにどんな瓦礫が埋まってい
ところどころ津波にやられた家が。でも残骸だけでもあるのはましな方。3.11前はもっと家が建っていたという
現場もこれまで一帯でご遺体が40体くらい上がってて、作業する場所付近で8体上がって、まだ4体上がってないというヘビーな場所。「何か見つかった場合はすぐに各班のリーダーに報告してください」とのこと。見つかることを祈りながら作業開始。
作業の前に亡くなった方々のために黙祷
1年以上経ってるのにちょっと掘るだけでガードレール、木材、畳、鉄の塊、アルミサッシの枠、プラスチック、CD、鞄、衣類などなどが次々と大量に出てきた。まさに手付かず。特に畳と最後のなんかの鉄の塊は掘り出すのと運ぶのに骨が折れた。特に腰に爆弾を抱えている身にとっては(苦笑)
まずショベルで軽く泥を突き刺して何かに当ったら掘り出す。
ガードレール発掘。改めて津波の凄まじさを実感。
瓦礫は木、鉄、ビニールなど、分別して集める。みるみるうちに瓦礫の山が築かれた。特に畳とひしゃげてよくわからない鉄の塊がキツかった。
1時間のお昼休憩。久々の肉体労働のあとのメシは格別!
この弁当自体がめちゃうまかった
もちろん参加者は被災した方々のために何かしたいというのが動機なのだが、作業自体は楽しんでやっていたような気がする。もちろんおれも。泥の中に埋もれ ている瓦礫を見つけ出し、掘り起こすことに集中していた。誤解を恐れずにいえば、宝探しのような感覚。この「楽しむ」感覚って大事だと思う。特に継続する 上では。
こんな手付かずな場所がまだまだあるのだろう。自分の体を動かすことによって改めて3.11の大津波の凄まじさを思い知った。これまでの取材で感じたのとはまた違った思いである。
POJでは今後も継続的にボランティアツアーを行うとのことなので、都合が合えばまた参加したい。
●今回参加した5/5南相馬物資配布・清掃ボランティア詳細はこちら
●POWER OF JAPANとは
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