一筆入魂

フリーライター/編集者 山下久猛のブログ

2010
01/30
仕事人インタビュー

サトシンさんインタビュー その4 おてて絵本誕生秘話

特に、カミサンをうまいこと丸め込みたい全国のお父さんに大好評のサトシンさんインタビューのその4をお届けします。

その3から続く)

まずは『すくすく子育て』の連載コラム

_0001621.jpgサトシン カミサンを丸め込んで......いや、説得してから、より一層がんばってみっか! と思い、ひたすら毎日のように絵本の企画をつくっていったわけだけど、本格的に絵本の営業をかける前、そもそもの動き出したきっかけでもある「子育て父さん」(※詳しくはインタビューその2を参照)の営業の時期があったんですね。興味を持ってもらえるかな? と思われるようないろんな出版社に「子育て父さん」の営業をかけていきました。

 そんな中、NHK出版にも行って、「子育て父さん的な絵本、どうでしょう?」ってプレゼンしたら、「ウチで絵本は難しいですね〜」ってバッサリ言われちゃって。「番組になってるものの絵本化だったら考えられるけど、それ以外はできないです」と。聞いてるうちに、まあそうだわなあ、と思った。

──さすがNHK。ハードル高いっすねえ。

サトシン でもね、そこで終わりじゃなかったんだなこれが。「ただ、あなたたちの考え方やスタンスはおもしろい。番組と連動した『すくすく子育て』っていう雑誌があって、これからリニューアルするんだけど、読者ページの片隅を空けるから、そこで何かやってみますか?」と言われたんです。

──おお〜。

サトシン もちろん、即、やりますと答えて、急遽企画を作りました。そもそも飲み会の席で絵本のムックをやろうと持ちかけてきた友達のコピーライターの柚木崎寿久君と組んで(※詳しくはインタビューその2を参照)。柚木崎君が新米父さんで、僕がベテラン父さんっていう設定にして、毎月子育てに関するテーマを決めて、父親ふたりで丁々発止お話を繰り広げるって構成。例えば、「子供のいる家でタバコを吸うってどうなのよ」とか「子供が病気になったときどうする」とかね。そういうコラムを提案したわけ。タイトルは「イクジ(育児)なしではいられない」。ダジャレタイトルなんですけどね。それがそのまま通って、2006年4月から連載が始まったわけです。

sukusuku.jpg
『すくすく子育て』


──「絵本作家として生きていく!」と決めてわずか数カ月で第1弾の連載が決まったんですね。すごい!

サトシン 仕事柄プレゼンは得意だったし、タイミングがよかったってのもありますね。ちょうど雑誌がリニューアルしたばかりだったとかね。ちなみに、そのときはコピーライターを辞めちゃってたから、収入といったら、そのコラムのギャラだけ。僕は挿絵も描いたんだけど、コラムのギャラは2万円で2人で折半したので1カ月1万円。それが1年続いて、収入は12万円。

 ボクシングでチャンピオンにもなった内藤大輔選手がテレビで「貧乏時代は月収12万円でした」なんて言ってるのを聞いたけど、オレ、年収が12万円ですよ。これ、講演とかで喋ると「おおお〜っ」ってウケるんですよ。そういう意味ではおいちいエピソードになりました。転んでもタダでは起きないでしょ?

「おてて絵本」誕生秘話

サトシン あ、いかん、脱線した。それで、そのコラムの「遊び」をテーマにした回で、うちの娘が小さい頃にこういう遊びをしててねっていう話をしたんです。それが「おてて絵本」だったんです。

──ついにきましたね〜「おてて絵本」! ではここからいよいよ「おてて絵本」についてお聞きしていきたいと思います。そもそも「おてて絵本」とはどういう経緯で生まれたものなんですか?

サトシン そもそもは、僕が広告制作会社を辞めて主夫をやったときのことですね(※インタビューその1を参照)。僕が27〜28歳くらい、娘は2歳ちょっとになってしゃべり始めた頃。その頃は育児やりつつ、フリーのコピーライターっぽい感じになってたんだ。で、娘の面倒を見ながらウチで仕事をしてたある日、娘が寄ってきて、「パっちゃん、遊んでよ」と。あ、僕、子供にパっちゃんって呼ばれてたんですよ。

──「パパ」プラス「父ちゃん」的なニュアンスでパっちゃん、ですか。

サトシン そうそう。で、「パっちゃん、遊んでよ」と言われて、「いやね、君はおバカですか? オレが今、仕事をしてるのがわかりませんか? 仕事しながらじゃ遊べないよね?」て諭したら、「じゃ、遊んでくれなくていいから絵本を読んで」と言うんですね。「重ね重ね、君は残念な子ですか? 遊べないのに絵本を読めるわけないでしょ?」と。

 でもそのとき、思ったんです。娘は絵本を読むのが得意な子で、そのときはまだ字が読めなかったんだけど絵本のお話を覚えてて、絵本をパラパラめくりながら読んでくれたりするのが得意な子でね。なもんで、「君が本を読んでくれるんだったら、仕事しながら聞いてあげるから、読んでみ」て言ったら、「じゃあ聞いててね」って言いながら読み始めたんですよ。

 で、僕は仕事をしながら「へー、シンデレラってどうなるんだろー、ドッキドキー」みたいな合いの手を適当に入れながら聞いてたら、その合いの手が面白いらしくて。お話を読みながら合いの手を入れられるっていうのが喜びになって、「また読むから聞いててねー」ってなことになって。僕としても話半分に聞きながら、仕事しながらでも子供をかまってやることができるから、こりゃあ手抜きできて楽でいいわと思いながらやってたんですね。

──さすがですね〜(笑)

_0001626.jpgサトシン そうこうするうちに、今度は娘が手を抜き始めたんですよ。本棚に行って本を持ってくるのがめんどくさいってんで、両手を絵本に見立てて開きながら、「今日はカチカチ山ねー」とか言いながら話し始めたんですよ。「おお、頭の中にお話が入ってるわけか! 本を見ないでも読めるってすごいねー」ってほめてあげたら、それがまたうれしかったらしく、「こんなのいくらでもできるよ〜」って言いながら、頭の中にある「桃太郎」とか「三匹の子豚」とかいろんな話をしてくれるようになったんです。

──へー。おもしろい!

サトシン で、どんどんやれって言ってたら、調子に乗ってばんばんお話してくれるようになったんですけど、ずーっとやってるとやがて話の種が尽きちゃうわけですよ。「ある日、ウサギさんがロケットに乗って月に行きました」みたいな話をし始めて、「そんな話聞いたことないぞ」って言ったら、「だって今作ってるんだもーん」と。

──わはは。かわいー! でもいよいよ近づいてきましたね! おてて絵本の真髄に。

サトシン それからどんどん話し始めて「月に行ったら火星人がいて、ここは私の家だからあんたは出て行きなさい」ってうさぎに言うと。「火星人が住んでるのは火星だろ!」みたいなツッコミを入れるんだけど、子供は「いいからいいから、黙って聞きなさい」みたいな感じで話をしていったんですね。

 で、うさぎは火星人に出て行けと言われてケンカになった。火星人は手が10本あるんだけど、うさぎは2本しかないので、手数でどうしても負けます、みたいな話になってね。

──がはは! ほんとにおもしろい!

サトシン そうそう。僕も「おもしろい!」ってほめてあげたら、「こんなのいくらでもできるよ」って言うから「じゃ聞かせてみ」って言ったらどんどんスットコドッコイな話が出てきたんですね。

 娘は自分の作り話でケタケタ笑っちゃうし、僕も子供ならではのスットコドッコイな発想がおもしろかった。これは大人も子供も楽しめる、しかも道具はいらないし、金もかからないし、こりゃあいいわってことで、わが家の定番の遊びになった、っていうのが「おてて絵本」のそもそもの始まりです。

──なるほど〜。おもしろいですね〜。まさに「おてて絵本誕生秘話」ですね。

サトシン でも、娘が成長するしたがって、だんだんそういう遊びもやらなくなっていったんですよね。楽しみながらやってたのは小学校の中学年くらいまでかなあ。で、次に生まれた長男と次男は長女みたいな本好きな子じゃなくて、表現好きっていうわけでもなくて、お話的なことにも興味を示さないし、まるっきり趣味嗜好が違う。子供もそれぞれだなあと思って。で、「おてて絵本」のことはずーっと忘れてたんですよ。

──ほー。でもそれが10数年後に『すくすく』のコラム企画につながるわけですね。

サトシン そうそう。『すくすく子育て』の「イクジなしではいられない」で「おてて絵本」を紹介したら、全国から反響がどーんと来たんですね。そういう遊びを知らなかったとか、具体的にどういうふうにやるのとか、やりかたのヒントを教えてほしいとか、いろいろなレスポンスが来た。それらを見ていて、あ、わが家では当たり前にやってたけど、世の中にはあまり知られてないんだなとか、こういう遊びはおもしろいのに知らないのは損だねと思ったんです。そして、それと同時に、これ、コミュニケーションツールとしておもしろいぞ! と。それで「おてて絵本」と名づけて全国に広げるための活動をしようと思ったってのが、そもそものきっかけなんです。

娘まで丸め込む

──でもアレですね、「おてて絵本」誕生の一番の功労者というか発明者は娘さんってことですよね。

サトシン そうそう。娘のアイデアを僕がいただいちゃったって感じなんですよね。たまにハタチになった長女からツッコまれますけど。だけど、「いや、そうじゃないんだ。だって、おてて絵本っていう遊びはわが家だけの専売特許じゃなくて、たぶん、ほかでもこれ的なことをやってる家ってあるんだよ。

 でもね、今は世の中的にお話を楽しむっていうことがどんどん少なくなってきてるわけだ。本離れも進んでるし、昔はたくさんいた、子供に素話をしてくれるおじいちゃん、おばあちゃんもどんどんいなくなって、コミュニケーションの機会そのものもなくなってるわけだよ。

 そんな危機的状況の中だからこそ、こういうふうに子供とのコミュニケーションを楽しもうよ、やり方は簡単で誰でもできるよって、間口を広げてあげるっていうことが大事なんだよ。そういうことを考えないとだめなんだよ。オレはそこんところを多くの人に知ってもらいたいと思ってるわけで、そういう思いで動くことこそが大事なんだよ」っていう話をすると、長女も「んー、まあそうだね」と納得してくれるわけ。あぶねえ、あぶねえ。

──さすが丸め込み上手(笑)

サトシン お利口そうに見えてコロッと言いなりになるあたり、母親に似てくれたんでしょうかね。でもまあ、そんなわけで「おてて絵本」を広めようと思ったんですが、ちょっとした懸念もありました。

■その5に続く

その3はこちら

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「おてて絵本」のそもそもの発明者は娘さんだったとは......。そしてその娘さんをもうま〜く丸め込むとは......。恐るべし、サトシンさん。

さて、次回はちょっとした懸念と大いなる野望について語っていただきます。乞う、ご期待!
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●サトシンさんプロフィール
サトシン(本名:佐藤伸)1962年新潟県出身。三児の父親。元コピーライター。
広告としての受賞歴:「日本新聞協会 新聞社企画部門 新聞広告賞(新潟日報社)」「新潟広告賞グランプリ(第四銀行)」「新潟広告賞大賞(北陸国道協議会)」ほか。
2006年12月、すずき出版より「おったまげたと ごさくどん」(サトシン/作 たごもりのりこ/絵)を出版し、以降、本格的に作家活動に突入。
2007年4月、「おてて絵本普及協会」設立。新しい親子遊び「おてて絵本」の普及とこどもたちの「おてて絵本」ストーリーの採取・紹介に力を入れている。
2009年12月に出版した「うんこ!」がただいま絶好調増刷中。


●公式サイト→絵本作家サトシンHP
●サトシンさんが立ち上げたおてて絵本普及協会



●絶賛増刷中の




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